厳しい歴史を持つ「ペスト」舞台、オラン市

ペスト
Gerhard G.によるPixabayからの画像

今日は「ペスト」の舞台となった
アルジェリアにあるオラン市の歴史についてのお話です。

植民地争いに翻弄された街オラン

903年にイスラム教徒によって商業の拠点として
建設された町がオランの始まりでした。

オランはヨーロッパ南西部への
小麦粉の供給地となり繁栄しましたが
1509年にスペインに占領され、衰退します。
更に1708年にはオスマン帝国に征服されますが、
1732年に再びスペインが奪い返します。
しかし、オランの貿易都市としての必要性が下がったため
時のスペイン王カルロス4世はオスマン帝国に町を売却したのです。

ちょっと待ってください…

ここまでの流れをおさらいすると…

イスラム教徒だったオラン市
スペインオスマン帝国スペイン
(なんと売却)オスマン帝国
その後1830年にフランスがアフリカの植民地の拠点としてアルジェリアを占領。
1831年にフランスに併合され、
ヨーロッパからの入植拠点として近代的な市街地が建設されるのです。

厳しいフランス植民地政策時代

1830年以来、132年間、
フランスが植民地として直接統治し、100万人のフランス人が移住。
カミュが生まれた美しい海岸都市・オラン市では
人口の80%をフランス人が占めていました。

残されていたオランの人々は
イスラム教の文献を没収され、
図書館や宗教学校を閉鎖され、
現地の文化を奪われました。
識字率が10%という教育の中
イスラム教徒にもかかわらず、
フランス人の土地でワインなどの製造工場で働かされ、
貧しく暮らしていたそうです。

カミュの祖父が19世紀初めにアルジェリアへ

「ペスト」の作者であるカミュさんの祖父は
そんな時代の中、フランスからアルジェリアへ移住したフランス人でした。
そして父はスペイン系の娘と結婚し生まれたのがカミュさん。
お父さんはカミュさんが生まれた翌年に戦死したそうです。

「ペスト」に出てくるジャンヌダルク像

本編でランベールが待ち合わせに使っていた
ジャンヌダルク像。
フランスの英雄として有名なジャンヌダルクが登場するのも
時代背景が関わっています。

オランの町並みを検索すると
イスラム、スペイン、フランスと
様々な文化の入り混じった建造物か見られるのです。
「ペスト」が書かれたのは1947年。
フランスの統治下にあったことが
ここからも感じ取れます。

 

さあ、いよいよ明日公開となります「ペスト」。

18日のYouTube公開までもうしばしお待ちください。

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