アルベール・カミュは暗殺だった??!

カミュさんはノーベル賞受賞後(1957年頃)、
プロヴァンス地方の田園地帯ルールマランに家を構えたことで
パリとの間を往復する生活を送っていました。

1960年、友人が運転する自動車でパリに向かう途中、
ヨンヌ県(フランス語版)において立ち木に衝突、
助手席のカミュは即死、
運転手も手術中に死亡しました。

当時の報道では原因として以下が指摘されていました。

スピード超過(時速約180km)
運転手のてんかんの発作
(走行中の並木模様によって引き起こされたとされる)
タイヤのパンク

しかし!!!

イタリアの大学人である
ジョヴァンニ・カテッリさんが
2011年にイタリアの新聞『コリエーレ・デラ・セラ』で
「KGB(ソ連秘密警察)によって暗殺された」

という説を発表していたのです。

 

これは、カミュさんが『Franc-Tireurs』紙(1957年)で発表した記事において、
1956年のソ連軍によるハンガリー暴動の弾圧で、
ソ連のドミトリー・シェピーロフ外相を非難したことから、
シュピーロフさんがKGBに暗殺指令を出したというものでした。

作家のルネ・エチアンブルさんは

以下のように発言しているそうです。

「ずっと調査してきて、
このファセル・ヴェガ(当時の自動車)が
棺であったという証拠を握っているが、
私の記事を公表したいという新聞は探したものの見つからなかった」

 


第二部の公開まであと2日に迫っています!

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