今日は「ペスト」の舞台となった
アルジェリアにあるオラン市の歴史についてのお話です。
植民地争いに翻弄された街オラン
903年にイスラム教徒によって商業の拠点として
建設された町がオランの始まりでした。
オランはヨーロッパ南西部への
小麦粉の供給地となり繁栄しましたが
1509年にスペインに占領され、衰退します。
更に1708年にはオスマン帝国に征服されますが、
1732年に再びスペインが奪い返します。
しかし、オランの貿易都市としての必要性が下がったため
時のスペイン王カルロス4世はオスマン帝国に町を売却したのです。
ちょっと待ってください…
ここまでの流れをおさらいすると…
→スペイン→オスマン帝国→スペイン
→(なんと売却)→オスマン帝国
1831年にフランスに併合され、
ヨーロッパからの入植拠点として近代的な市街地が建設されるのです。
厳しいフランス植民地政策時代
1830年以来、132年間、
フランスが植民地として直接統治し、100万人のフランス人が移住。
カミュが生まれた美しい海岸都市・オラン市では
人口の80%をフランス人が占めていました。
残されていたオランの人々は
イスラム教の文献を没収され、
図書館や宗教学校を閉鎖され、
現地の文化を奪われました。
識字率が10%という教育の中
イスラム教徒にもかかわらず、
フランス人の土地でワインなどの製造工場で働かされ、
貧しく暮らしていたそうです。
カミュの祖父が19世紀初めにアルジェリアへ
「ペスト」の作者であるカミュさんの祖父は
そんな時代の中、フランスからアルジェリアへ移住したフランス人でした。
そして父はスペイン系の娘と結婚し生まれたのがカミュさん。
お父さんはカミュさんが生まれた翌年に戦死したそうです。
「ペスト」に出てくるジャンヌダルク像
本編でランベールが待ち合わせに使っていた
ジャンヌダルク像。
フランスの英雄として有名なジャンヌダルクが登場するのも
時代背景が関わっています。
オランの町並みを検索すると
イスラム、スペイン、フランスと
様々な文化の入り混じった建造物か見られるのです。
「ペスト」が書かれたのは1947年。
フランスの統治下にあったことが
ここからも感じ取れます。
さあ、いよいよ明日公開となります「ペスト」。
18日のYouTube公開までもうしばしお待ちください。
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